麻瀬憧庵                                 

オーディオ雑記帳


  このホームページを作って以降、疑問に感じていた事の答えらしきものが見つかったり、新たな疑問が生じたり、 ふと思いついたり。

           ・ ・ ・ ・ ・  とても大事な事柄からただの戯言まで、ちょっとこちらに綴ってみます。

 2017年8月13日
とんでもない事実

 今まで、当ホームページへ何人もの方々から問い合わせのメールを頂きました。 直接ご来店下さいました方もいらっしゃいます。
その方々と電話で話したりメールでやり取りをしてる時に、何人かの方の話の内容にどうしても納得できない部分がある事を感じ、それは一体どうしてか、その方達はどうしてそんな風に考えるのか、答えを探ってみました。

ある方は、『LCDプレーヤーよりパソコンドライブ』 の記事に対して、「この事は昔やってみたが、CDプレーヤーの方が音が良かった」と、更に 「コルグのDSD‐DACも導入してみたが、音の変化は感じられずCDプレーヤーの方が良く聴こえたのでDACを処分してしまった。」 とおっしゃいました。

あまりのお言葉にちょっと衝撃を受けたのですが、この様な結論に至るという事は原因は唯一つ。
高域〜超高域が脳に届いていないのであろうという事。
でっ、この時はこの方のシステムの再生周波数帯域に問題があるのであろう、一言で言うならばスピーカーが高域を再生していないのであろうと考えました。

又別の方は、音場を出現させる為にはスピーカーは内向きではなく平行に置かなければいけないとおっしゃいました。
この方はとてもディープなオーディオ、クラシックマニアの方の様で、ブログを拝見するととても博識で深い経験を積まれている方のようでした。

この様な方からのこのお言葉、私の頭の中にかなりの混乱を生じさせるに十分でした。

実際、ブログには、この様な置き方をして音場を出現させているという記事も載せていて、画像も貼ってありました。

この様な置き方をしてセンターで聴いた場合、両スピーカー共、中心軸よりもかなりの角度がついた位置での試聴となります。
従って、このスピーカーの再生周波数特性がいかにフラットでも、リスニングポイントにおける特性はかなり高域が減衰したものになるでしょう。
角度にもよりますが、概ね1,000Hzあたりから減衰し始め、5,000Hzを越えるあたりから相当だら下がりの特性になってしまうのではないでしょうか。

Rスピーカースタンドの欠陥発覚』 で書きましたように、私はこのような音に満足できませんし、後で書きますリスナーがとるべき正しいスタンスという観点からも、この様な置き方は間違っていると思います。

 ここで、高域がフラットに伸びている場合の音場と、だら下がりの場合の音場の出現の仕方の違いについて書いてみます。
この違いは、概ねカメラにおける望遠レンズと広角レンズによる写りの違いに近いものであると言えると思います

ある風景(例えば山とします)の前に被写体が存在している時、この被写体を望遠レンズで捉えると、被写体が前に近付いてくると同時に風景も前方へせり出してきます。 そのせり出し具合は風景の方がより大きく、結果的に被写体と風景との距離が近づいたように感じられます。そして画面いっぱいに山が広がります。

広角レンズを使用すると、被写体は奥へ引っ込みますが、風景はより遠くへ離れ、被写体と風景との距離は実際に見える以上に広がります。 この時後ろの山はとても小さく写ります。

高域がフラットに伸びている場合目の前に出現する音場は、望遠レンズで写した写真のごとく、被写体(例えばボーカル)が目の前に出現し、風景(バックで演奏するドラムスやその奥にあるであろうスタジオの壁など)との距離はあまり大きくは感じられません。

この時、左右、上下への広がりは最大になり、両スピーカーの更に左右まで音が広がり、高域成分のたくさん入っている音源(例えばシンバルの音やピアノの最高音等)は天井部から降り注ぐように聴こえます。

一方、高域がだら下がりの場合に出現する音場は、広角レンズで写した写真のように、被写体が目の前から離れ風景もずっと奥に位置する事になります。
この時左右の広がりもこじんまりとしたものになり、スピーカー間の奥の方に箱庭のように現れます。

当然、各音に対する高域成分の比率が下がりますから、各楽器は奥に引っ込み全体的に低い位置に出現します。

どちらが音場感を感じやすいかと言うと、高域だら下がりの特性の方が、広角レンズでとらえた画像のように前後の距離が広がりますから、その分目の前の空間の奥行き方向の広がり感をより感じやすいと思います。

私は遠くから俯瞰して見るような音場より、楽器やボーカルが目の前に存在して、左右、上下とも一杯の音でうずまってしまうぐらいの聴こえ方が好みですので、ツィーターは最高域まで脳に届くように左右の耳に中心軸を向かわせています。

一方、クラシックを聴かれる方は、広角レンズで写した写真のようにより前後方向の音場を求める事が多いように見受けられます。

しかしどうなんでしょう。 そのような音場を出現させる為だからといって、スピーカーを平行に置くのは正しい事なのでしょうか?

私達音楽を聴く側に求められる正しいスタンスとはどのようなものでしょう。
それは録音スタジオでプロデューサーやエンジニアが音として封じ込めたそのままを部屋で再現する事ではないのでしょうか。

であるのであれば、高域の減衰した音が聴こえるようなセッティングは間違いであり、耳に届くスピーカーの周波数特性はフラットでないといけないという事になります。
何故なら、恐らくスタジオのモニタースピーカーの周波数特性はフラットに近いものでしょうから。

このスピーカー平行セッティングのページには、実際その部屋で試聴した方のコメントが載っていて、『2階席で聴いているような音場が出現した。ボリュームを絞ると3,4階席で聴いているようだった』みたいな事が書かれていたのですが、この時試聴したCDを作った人たちはそんな席で聴いているような音場を封じ込めたのでしょうか?
ステージ前の特等席で聴いているような感動を味わってほしいという思いで作っているのではないでしょうか。

この様に、どうも私と音の捉え方が違う方々が存在しているのですが、それは一体どうしてなのか。

ふと、ある事に気付きました。

 うちの部屋で何人かの人に音を聴いてもらったのですが、その中で、音場感に気付き音の存在の仕方に驚く方と、音のある部分だけに気がひかれる(例えば低音がすごいですねみたいな)方とに二分されます。

でっ、何がこの二つのグループに分ける要因なのだろうと考えた時と同じある事実だったのです。

先月、ご連絡頂いた方は、ほぼ私と同じようなオーディオ経路をたどって現在に至っていらっしゃるようでしたが、そのメールに書かれている文言からある事が想像できたので、次のような返事を送りました。

『もしかして音楽を聴く時メガネをかけていらっしゃいますか?  そうであるならはずして聴いてみて下さい』

ビンゴでした。この方近視だそうでいつもメガネをしていらっしゃるようですが、『メガネを外してみますと・・確かに少し高音が強く感じる気がいたしました。』 とのお返事を頂きました。

そうなんです。メガネを掛けているかいないかで聴こえる音に劇的な違いがあるのです。

この事は、『J目は耳以上に音を聴き』 で書いているんですが、その時考えていた以上にこれは重要な事だったのです。

結局、メガネを掛けている方は高域情報を脳に集める事が出来ず、その結果、音場を頭の中に出現させることが難しいのだと思います。
だからスピーカーを平行に設置する様な置き方をしないと、音場感を得られないのだと思います。

その後、この事実を確かめるべく実験を繰り返しました。
といっても音楽を聴きながら老眼鏡を掛けたり外したりするだけなんですけど。
その結果、今まで以上に音の違いがはっきりしてきました。

メガネなしで聴いた場合、いつも通り目の前に風景が広がり、各音はくりっとした丸みを帯び空中に浮かぶように出現し、各楽器間の奥行き方向の距離感も如実に感じられます。
スタジオの壁や天井に反響する音もたっぷり聴こえ、消えゆくまでの余韻が非常に気持ち良いです。

メガネを掛けて聴いてみると、一瞬にして風景に薄ーい膜がかかったような状態になり、音の瑞々しさ、生々しさ、輝きが失われるようです。
聴こえる反響音の量もわずかに減り、消えゆくまでの余韻も短くなり、全体的にSN比が悪化したように感じられます。
更に音自体の立体感のみならず、空間の奥行き感、広がり共減少し、全体的にベタッとした躍動感の少ない空間が広がります。
シンバルの音等は、激変と呼べるほど変化し、チリリンとした余韻や輝きはすべて失われ、大袈裟に言えば鍋のふたをたたいているような音になってしまいます。
この為、立体感が失われ、後ろの壁と同列に位置したところで鳴っているように聴こえます


 メガネを掛けて聴いた場合の音のイメージをイラストにすると左図上のような感じでしょうか。

音自体はメガネを掛けない場合と同じように丸く現れ、この部分にはあまり違いを感じません。

一方、メガネを掛けない場合の音のイメージは下の画像のような感じになります。
丸い音の本体の上側に明るい輝きのようにその音の響きが感じられ、このせいで背景との境が感じられ、背景との距離感も生まれるようです。

この輝きは全体を覆う様には現れず、上半分位に存在しているように感じます。

この輝きが生まれると音の比重バランスが変化し、下の方に重心が位置していたものが、少し重心が上がり、全体的に少しだけ軽やかな音に代わるようです。

目の前に位置している音の場所も明らかに変化し、2〜3cm上方から聞こえるようになります。

この輝きの正体は、正しく音の2次、3次、・ ・ ・ と続く高調波成分なのでしょう。

つまり、メガネを掛けている方は、これらの高調波成分のかなりの部分が脳に届いていないのではないでしょうか。
 ここでさらに実験を進めてみました。
メガネを掛けない状態と掛けた状態で、音楽を聴いている途中で片チャンネルのツィーターの音を切って比べてみました。
この時、シンバルのように高域成分が占める比重の大きい音だとどちらもツィーターを切った瞬間音が小さくなり、メガネの有無に関係なく違いが分かってしまいますので実験対象から外し、中域から高域まで満遍なく入っているボーカルやブラス等に意識を集中して聴いてみました。

今、ドライバーとツィーターのクロスは約7,000Hz位なのですが、この状態で試した場合、メガネをかけない場合は切った事がはっきり分かります。
右チャンネルのツィーターを切ったとすると、上の下側のイラストの右半分の輝きの様な部分がなくなり、その上図のような丸いふちが現れます。
そして音の輪郭のシャープさがなくなり少し後ろへ引っ込んだ感じになります。

メガネを掛けて同じことをすると、もともとこの輝きの部分はわずかな物ですから右チャンネルの音の変化はあるのですが、かなり小さいものです。

チャンデバでクロスを最大の9,300Hzにして同じ事を試してみると、メガネをしていない場合は音の変化ははっきり感じられますが、掛けているとほとんど変化ないように聴こえます。

やはり年と共に耳の感度は低下し、60歳以上では5,000Hz以上での領域で相当鈍感な状態になっているのではないでしょうか。
そしてこの耳の感度低下を補完し、音情報を脳に送り届けているのが目なのではないのでしょうか。
これは、私の中ではもう推論というより、確信に変わっている事柄です。

どうか、これからはメガネをはずして音楽を聴いてみて下さい。

但し、いきなりその音の差に気付かれるようなことはないでしょう。
いくら目から情報が入ってくるようになっても、脳の方がその情報処理に対処できないでしょうから。

毎日毎日、裸眼で音を聴き続けることにより脳がバージョンアップを繰り返し、脳の情報処理能力が上がってくることでしょう。
そのような脳になってから、メガネを掛けた状態との音の比較をすれば、ここに書いた事を理解して頂けると思います。

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