麻瀬憧庵                                 

 
            

A求める音とは


 生々しい音、リアルな音と申しましても、これ、実は生を求めているのとはちょっと違うような気がします。

だって、実際に当時のミュージシャンの演奏を生で聞いた事がある訳でもなく、現在も生で音楽を聴くなどという経験はほとんど持ちえません。
どこかでライブを聴いたとしても、PAを通した音を聴いた訳で、生音を目の前で聞いた物とは全く違う音を聴いている訳ですから。

つまりは本当の生音のはっきりした記憶は持ち合わせていないというところが真実です。
それでも、生音に対する渇望は強まりこそすれ薄れる事はありません。

 結局のところ、求めている音は頭の中にあるイメージ。脳が過去の音風景で感動し、どこかにストックしている最高の音のイメージ。

それがどのような物なのか、具体的に言葉にするのは難しく、実際今耳にしている音とそのイメージをすり合わせることでその差を認識し、違和感、不満足感として捉えることでその音の評価を下しているのだと思います。

 一つだけ絶対的に言える事は、その求める音が出現した場合には、必ず音場感を伴っているという事。
生音を聴いた場合、固有の音源には固有の距離が存在し、それらが三次元立体空間を創出しているという事実があり、頭の中のイメージにもそれが備わっているであろうということは自明の理であります。

 左右に置かれたスピーカーから出た音が横の広がりを持つだけでなく、はっきりした奥行き感を伴っていなければなりません。
センターで歌っている歌手までの距離、その隣で演奏している楽器までの距離、その奥で鳴っているドラムスやベースまでの距離、更にその奥に存在するはずのスタジオの後ろの壁、あるいは左右の壁までの距離。
それらが音として感じられる所に到達した場合、スピーカーの存在は完全に消え、目の前にスタジオが、コンサートホールが、ライブハウスが、まるで見えるがごとく出現します。

 そういう音に巡り合った瞬間、何ともいえぬ満足感、幸福感に体中を包まれ、とろけるような快感が体の中を駆け巡るのでしょう。

いつかそういう事が起きることを期待し、人はオーディオにハマって行くのだと思います。

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